MPB ブラジル 歴史

#13 Ponteio / Edu Lobo e José Carlos Capinan

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Ponteioは、ブラジルの音楽史を知る上では絶対に外せない曲である。
ブラジル音楽も時代と共に流行や時には政治的な背景の元に新しいものが生まれる。ブラジル音楽史的にいうと、Bossa Novaのあとに現れたMPBは、今日も沢山のミュージシャンによって進化を遂げている。
MPBというのは、Música Popular Brasileiraの頭文字をとったものであり、直訳するとブラジルポピュラー音楽。私が卒業したサンパウロ州立の音楽院のコース名はMPB/Jazz科であり、このように今では国が認める大切な文化のひとつとなった。
そのMPBの誕生は、他の音楽と同様、決定的な出来事があるわけでもなく、時代と共に発展していった。その中でも重要な役割を果たしたのが音楽番組のテレビ放送である。

ブラジルのテレビ放送は1950年代より始まり、1960年代に普及していく。
Festival de Música Popular Brasileira (ブラジルポピュラー音楽祭)はサンパウロ州の海沿いの町Guarujáにて1960年に初めて開催された。2回目以降は音楽祭をTV Recordが仕掛け、テレビ放送することになった。
2回目の音楽祭より、3回目の音楽祭がブラジル音楽史的に注目されるのにはいくつかの理由がある。

3回目の音楽祭は予選1967年9月30日から本選10月21日に渡り開催された。参加した音楽家の一覧をみると、リオデジャネイロで行われているのだろうと想像してしまうが、開催場所はサンパウロのヘプブリカ地区にあるTeatro Renaultという劇場である。現在もミュージカルなどの公演が行われている。
前回の放送で知名度が上がったこともあるだろうが、開催前に興味深い出来事が起こった。当時ブラジルにもアメリカやヨーロッパのロックが到着していたため、「ブラジル音楽の良さが薄れる!」「アメリカナイズされてしまう!」と懸念した音楽家たちによって、象徴であるエレキギターを禁止する運動、Marcha contra a Guitarra Elétricaが起こったのだ。

Marcha contra a Guitarra Elétricaの様子(67/07/17 写真:Paulo Salomão)


6月17日にElis Regina, Jair Rodrigues, Gilberto Gil, Edu Loboらを中心にサンパウロにて行進を行った。ここでブラジル音楽ファンならおかしいと気づくだろう。MPBの歴史において、エレキギターやロックの活用に大貢献したGilberto Gilがこの行進に参加していたのだ。
Gilは後にこの出来事について「Elisに誘われたからさ」とインタビューに答えている。Gilは既に歌手として成功していたElisに自身の曲を歌ってもらった恩もあり、おそらくElisのお願いを断れなかったのだろう。同じくエレキギターを好んでいたCaetano VelosoはNara Leãoと共にこの運動に不快感を覚え、Naraは「ひどい!まるで統合主義のデモ。ファシズムよ。」とコメントしたそうだ。
来る音楽祭の予選にて、Caetano VelosoはBeat Boysというアルゼンチン人らによって結成されたロックバンドを率いて現れた。更には行進に参加していたGilberto Gilも電子楽器を中心としたサウンドで予選に挑んだのだった。但し、Gilの作品はブラジル音楽が基盤となっているため、これまで電子楽器反対派だった人々も少しずつ興味を持ち始めたのだった。賛否両論あったが、両者は無事に予選を通過した。ちなみにこの音楽祭で予選落ちをして、視聴者から抗議があったのはJohnny Alfの“Eu e a brisa”であった。

もう一つの印象深い出来事というのは、厳しい予選を突破した歌手で作曲家のSérgio Ricardoが、本選の舞台にて歌詞を変更したことで観客の野次がやまなくなったシーンである。絶え間なく続く野次に耐えられず、曲のキーすら聴き取れなくなってしまったSérgioは演奏を途中でやめ、手にしていたギターを叩きつけて舞台から立ち去ってしまう。彼は棄権とみなされた。
このエピソードについては、“Uma noite em 67”というドキュメンタリー映画で詳しく話されている。残念ながらSérgioは2020年7月23日にCOVID-19により帰らぬ人となった。

この音楽祭で見事に1位に輝いたのは、Edu Loboが作曲し、José Carlos Capinanが作詞を手掛けた“Ponteio”である。曲はブラジル北東部の音楽Baiãoをベースにしており、アレンジも含め、このフェスティバルの本選で圧倒的に正統派と言われるMPBであろう。Marilia Medalhaと共に歌われ、更にはQuarteto Novoが伴奏を務めた。Quarteto NovoとはTheo de Barros, Heraldo do Monte, Hermeto Pascoal, Airto Moreiraによるインストゥルメンタルグループで、この音楽祭と同じく1976年にアルバム“Quarteto Novo”をリリースし、この作品はブラジルのインストゥルメンタル界を変えた1枚と言われている。
曲はもちろん素晴らしいのだが、何よりこの観客の熱狂的な雰囲気に圧倒されてしまう。実はこの番組は生放送であり、音響担当であるZuza Homem de Melloは、マイクを天井に吊るすことによって観客の声援、時には野次までもをテレビの前の人々に伝えようとしたのだ。また、この方法が今となっては当時の様子を見ることができる非常に貴重な記録となった。音楽祭のディレクターSolano Ribeiroは、放送中に何か問題が起こるんではないかと死ぬほど心配だったそうだ。
Edu Loboの他にもChico Buarque とMPB4やRoberto Carlosが入賞。余談だが、Roberto Carlosが歌った“Maria, Carnaval e Cinzas”を作曲したLuis Carlos Paranáは以前紹介したDjavanのJogralのエピソードに出てくるJogralの店主である。

シングル: EDU LOBO - COMPACTO SIMPLES (1967)
作詞:José Carlos Capinan
作曲:Edu Lobo
録音:
David Tygel : Vocal
Maurício Maestro (Carlos Maurício Mendonça Figueiredo) : Vocal
Ricardo Villas : Vocal
Zé Rodrix : Vocal Part.
Marília Medalha : Voz
Momentoquatro : Vozes 他クレジット表記なし
【参考】
Uma noite em 67 (ドキュメンタリー映画、Brasil 2010年)
https://veja.abril.com.br/cultura/uma-noite-em-67-o-festival-que-mudou-a-musica-popular-brasileira/
https://brunohoffmann.wordpress.com/2011/09/08/abaixo-a-guitarra-eletrica/

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